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おかあさんは関東から明蛇に嫁いだ人やった。

京都観光に来たお母さんはたまたま虎屋に泊まりはって、そのとき虎屋のお手伝いをしていたお父さんに一目惚れして…みたいな感じらしい。

結婚してからは家で祖父母と共に住んでわたしを産んだ。
幸せいっぱいだったとお母さんは笑っとったけれども、明蛇の閉鎖的になりがちな雰囲気には誰よりも馴染めないでいた。

青の夜でお父さんとお祖母さんを亡くしてからは更に。

お祖父さんは青の夜より前に亡くなっていたから、家は本当にお母さんとわたしの二人っきりだった。

その中でも家の血を継ぐのはわたしだけ。
お母さんは明蛇では浮いてしまって当然だったのかもしれない。

青い夜の後、お母さんは家にこもりがちだった。

わたしはお母さんが心配で一緒にお部屋に居たり、お母さんを家と橋のような廊下で繋がっている道場に連れていって稽古を見てもらったり、なるべく一緒に居たのだけれども、しばらくするとお母さんは誘っても「、いっておいで」と言うだけで一緒に居てくれなくなった。

寂しかったわたしは柔兄や蝮ちゃんと遊んだり、廉ちゃんの様子を見に行ったりして時間をうめた。

その中でも廉ちゃんとの時間は格別だった。

今から思えば昔のことを廉ちゃんに重ねていたのかもしれない。

志摩のお母さんは手のかかる金造や、新たに授かった命にかかりきりになりがちだったからわたしによく廉ちゃんの世話を任せてくれた。

わたしは廉ちゃんをお母さんにしてもらったように大事にだっこして、お父さんにしてもらったように高い高いをしたりして遊んだ。

廉ちゃんが笑うたびに自分が笑っているように錯覚して幸せな思い出に浸れた。

でも、家に帰ると息のつまりそうな空気に呑まれる。


それは、あの夜から五年過ぎた今でも変わらない。



「お母さん」



暗い部屋で眠るお母さん。

お父さんとお母さんの寝室だったこの部屋はまだお父さんの物で溢れていた。

まだ子供のわたしには難しいことはわからなかったけれども、お母さんに笑ってほしくて必死だった。

畳で丸くなっているお母さんにそっと、昔わたしが疲れて縁側でお昼寝したときにお父さんがしてくれたように毛布をかける。



「お母さん、…さみしいよ」



わたしは涙を堪えて部屋を出た。

幸せだった思い出と共に生きるのは、お母さんにも、わたしにも、まだできそうにない。


でも、選択の時はすぐそこまで迫っていた。